6mm方眼ノート

方眼紙に書くと、なんとなく、普通の紙に書くよりも整理できるような気がするよね。

Appleとインターネットと私

 1998年、年末。私は18歳でした。
 私は当時、なんとなーく通信制高校に在籍しながら、平日はずっとバイト、という、まあざっくり表現すれば中卒フリーターでした。

 手元には20万円くらいのお金がありました。
 パソコンを買おうか、車の免許を取ろうか、本気で迷っていました。

 そうして年が明けた1999年のお正月。
 新聞にカラー広告で「5色になったiMac」の記事が載っていました。なんてオシャレなんだろう、これ欲しいな、と思いました。この新聞広告と「5色になったiMac」こそ、私の今後の人生を大きく左右した強烈な一撃でありました。

 私はインターネットとやらを始めました。当時はちょうど個人ホームページが流行しだした頃でした。私も手作りでホームページを作り、フリーCGIでチャットや掲示板を設置したりしました。他所の掲示板を巡り、IRC,ICQなんかも夢中でやりました。
 インターネット上にはたくさんの人がいました。画面を解したやりとりではありましたが、その日々の営みのなかから、私の心に
 「この田舎町の外には自分より賢い人、面白い人が
  いっぱいおるんやな…
  もっと人がいっぱいおる所に行きたいな」
という、ささやかな願いが生まれました。

 次の日、わたしは両親に言いました。
 「俺、通信(制高校)おわったら大学に生きたいんやけど
  予備校とか行ってええかなぁ」

 そして翌年、私は立命館大学の大学生になりました。

 思い返せば、「パソコンか、自動車の免許か」で「免許」を選んでいたとしたらどうでしょう。車で気軽に隣町や中核都市に出かけられるようになっていたら、地方での暮らしを満喫してしまっていたかもしれません。
 あのときパソコンを選んだからこそ、このタイミングでインターネットを始めたからこそ、この町を出て広い世界が見たい、と思えたのかもな、と強く感じています。

 そう、お正月の新聞に5色のiMacの広告が載っていなかったら、私の人生はどうなっていたことか。

 私は、あのとき5色のiMacを作ってくれたAppleに感謝しています。
 そしてインターネットの存在にも感謝しています。
 加えて、私を受け入れてくれた立命館大学にも感謝しています。

 今でも私はMacユーザーですし、
 今でもインターネットにどっぷりですし、
 今でも立命館大学のことは気になります(笑)。