ラジオに流されてみる
今朝の通勤時のこと。
radikoつけたら「あまちゃん」の話題。のぶさんは一度も観たことがないんですよね。
潮騒のメモリーっていう曲を初めて聴いた。良くも悪くも、昭和っぽいっていうか。団塊の世代には懐かしいのやろか。私にはピンとこない。
やはりラジオはいい。
予期しない情報が飛び込んでくる。
なんだかんだで、ラジオから得た知識・情報はけっこうある。
美木良介のロングブレスダイエットの詳しいところとか。
某文学賞をとったのが現役の食堂のおばちゃんである件とか。
阿部首相がサミットの前に硫黄島に立ち寄り、まだ回収できてない日本兵の遺骨が埋まっている滑走路に膝をついて何かつぶやいていたとか。
何度でも言おう、やはりラジオはいい。
興味が無いことも一方的にズバズバ流れてくる。
テレビやラジオはリアルタイムなインタラクティブ性が低い。参加型の企画や番組はあるにはあるものの、おおむね一方向的なメディアだ。
その「内容」について取捨選択するのは自分ではない、あくまで作り手の側だ。受け取るものの内容や事柄について、番組やチャンネルというレベルでしか選べない。
何も得られないかもしれないし、すごく勉強になるかもしれない。
だからこそ、いいんだよね。ラジオとかは。
時にはiPodで自分でつくったプレイリストを再生するときもある。
まあ、なんつーか、楽しいよね。
当たり前だよね。
だって、自分が楽しめるものを、自分が楽しみたいように組んだんだし。
分かってんねん、楽しいのは。
そのぶん「得るものの 限界 もある程度 見えちゃってる」という一面もあるかもしれない。
自主的、自発的なことは確かに素晴らしい。
能動的に事柄をコントロールできるのは確かに効率的だし気持ちいい。
けれども「流れに委ねる」っていう状態を、わたしは生活の中に常に持っていたい。
皆にも是非もっておいて欲しい、と思う。
そこにある世界なんて、まだまだ広い世界のなかの、ほんのひときれ、でしかない。新しい世界は不意にやってくる。
時には電波に乗って。