6mm方眼ノート

方眼紙に書くと、なんとなく、普通の紙に書くよりも整理できるような気がするよね。

残業中にドローン飛んできたら集中できんし、そりゃ帰りたくなるわ

こんなニュース記事を見ましてん。

 

ITpro:ドローンが屋内を飛行して残業監視、NTT東などが非GPS環境下で定期巡回サービス

ニュース - ドローンが屋内を飛行して残業監視、NTT東などが非GPS環境下で定期巡回サービス:ITpro

 

天才やな( °-°)。これ考えたひと。

 

もし働いてる時にドローン飛んできて「見られたら」

働いてる時にブゥゥゥンてドローン飛んできたらイライラして仕方ないやろうし、

それが自身の残業を戒めるものだとしたら、

そんな環境で仕事したくねーから帰りたくなるわ。

 

それが残業者にとって大切な仕事で、どうしても今日中に上げておきたい仕事だったとしても、

近くにドローン飛んできてブゥゥゥン言われたら

「うるせぇ」

ってなるだろうし、

「会社から追い出す」

ことを目的とするならこんなに便利なものはない。 

イラっとして叩き落とそうもんなら、全て録画されているだろうし、逃れられないし。

 

実用化アリだと思います、めっちゃいい施策だと思います。

従業員をモノのように操るには。

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人を「モノ扱い」「家畜扱いしてる感」が否めない…?

 

わたしがまだドローンや独立行動デバイスに慣れていないからかもしれませんが、

どうにも、なんだろう、不愉快な気持ちにはなります。

まだ、上司や管理職にチクチク言われるほうがいい。

(勿論このへんは人それぞれ、個々の適正ありそうですが)

 

まあ、こんなものの活用が「働き方改革」のひとつのカタチ、みたいなカタチでは報道して欲しくはないですよね。

「働かせ方、雇用の仕方」の小細工ばっかりがフォーカスされてて、

「はたらく」の主役である労働者、生活者ひとりひとりの「働き方」を改革させるための取り組みはまだまだ少ない。

 

っていうか個々の「働き方」に改革の必要なんて、本当にあるのかね。

「主役不在」の政策方針だなあ、と心から思う。

いつ「働かせ方改革」に名称変更するんだろ。

 

 

冷静に観たら「熱闘甲子園」はえげつない制作物だった件

何年も前から、酒の席の話題にしていたのですが、

熱闘甲子園」の制作物としてのえげつなさ

について、ちょっと皆さん、聞いてくださいよ。

 

あの番組ね、エグい。えぐいよ。えげつない。


▼ えげつなさのサマリ

1,ものすごい数のカメラで、ものすごい量の「当日素材」を撮っている

2,「当日素材」も使って、当日夜オンエアの30分番組を、毎日つくる

3,「事前取材の素材」もしっかり用意してある

4,原則、1試合のレポートは「どちらかのチーム」にフォーカスが当たる

5,フォーカスは「勝ちチームにも、負けチームにも」当たる

6,敗チームの素材は、その時点で基本的には「不要」になる

考察 : どうやって「フォーカスする側」を決めているのか

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1,ものすごい数のカメラで、ものすごい量の「当日素材」を撮っている

 

巨人戦の中継よりも多いんじゃないか?というくらい多くのカメラが、甲子園球場

・試合中の選手
・ベンチ
・アルプススタンドの補欠、応援団

を撮影しています。
制作会社さんは大変だなぁと。

 

2,「当日素材」も使って、当日夜オンエアの30分番組を、毎日つくる

 

で、その素材も利用して、当日夜のために30分番組をつくるわけですが

試合内容によって、利用できる素材が異なってきますよね。
きちんと試合内容も加味して、見える形にしなければならない。
当然ゼロから構成するわけにもいかないので、ある程度の構成は「アタリをつけておく」必要が出てきます。

そこで必要になってくるのは「事前取材の素材」です。

  

 

3,「事前取材の素材」もしっかり用意してある

 

全出場校ぶん、おそらく素材は揃えてあることでしょう。
ここは地方のテレ朝系列局などにも協力いただくのでしょうか?

もし東京から素材撮りに出向いてるとしたら、すさまじい労力ですわ。

予選や過去大会の試合映像などは、強豪校、注目選手だけ押さえておけばいいのかもしれません。しかし大穴が活躍してしまった場合などは、後追いで駆け回って映像素材をつくるのかもしれないですねぇ…
 

 

4,原則、1試合のレポートは「どちらかのチーム」にフォーカスが当たる

 

 ここからの要素がえげつない。

 オンエア観てればお気づきでしょうが、得に1~2回戦の試合は、

対戦する両校が均等に紹介されることは無く、
原則としてどちらか1校を主人公としてストーリーが展開していく。

A校vsB校、と右上の字幕には出ているものの、
完全に「どちらかの高校」のストーリーしか描かれておらず
フォーカスが当たらなかった方は完全に「モブ扱い」であり
風景と化す。
えげつない。
  

5,フォーカスは「勝ちチームにも、負けチームにも」当たる

 

では「どちらのチームにフォーカスが当たっているのか」という問題。

昔はね、ほとんど、「負けチーム」にフォーカスが当たっていたと思うんです。 
でもね。
最近、そうでもないようなのです。

2017年8月某日、オンエアで1回戦が4試合放送されました。

 1試合目 フォーカス「負けチーム」

 2試合目 フォーカス「勝ちチーム」

 3試合目 フォーカス「勝ちチーム」

 4試合目 フォーカス「勝ちチーム」

 

…お い マジか。
実に3校が勝ちチーム側にフォーカスが当たっている。

甲子園を去る「負けチーム」について放送されたのは最初の一試合だけ。

残りの負けチーム3校についてのエピソードは特に紹介されることなく、
完全にモブとして番組を下支えする羽目になっているわけだ。

 

そう、「甲子園に出る」=「熱闘甲子園に出れる」わけではないのだ。
えげつない。

 

6,敗チームの素材は、その時点で基本的には「不要」になる

勝てば次の試合があるわけですが、負ければそこで終わりの甲子園。

勝ちチームはまだまだ番組の登場人物でありつづけるのですが、
既に甲子園を去ってしまう負けチームの素材に、ついては
もう「いらない」のですよね。
事前取材のテープも、当日のテープも、もう、ほぼ、使わない。

日が進む毎に、「使わなくなる素材」がどんどん増えていく。

「フォーカスされなかった敗者チーム」の素材に至っては、
ほんとうに1秒も使われることなく、消えていくことになる。

なんというか、えげつない。
熱闘甲子園の制作現場、えげつない。


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考察 : どうやって「フォーカスする側」を決めているのか

なんか、観ているこっちとしては、
「負けチームにフォーカスあててあげたい」
っていう気持ちになっちゃうんですよね。

だって勝ったらまだ先があるじゃないですか。
甲子園の大会そのものだって、そうじゃないですか。
彼らの終わってしまった 夏 に、
フォーカスあててあげれば、いいじゃないですか。

ずっと負けチームのレポートをしていたら、
「優勝校以外の全出場校」にフォーカスが当たることになるんです。

実際のところ、準決勝あたりから、放送時間の尺に余裕が出てくるので
両校にしっかりと時間を使うことができる。

つまりは「全ての学校のエピソードを紹介する」ことが、
理屈の上では可能なはずなんですよ。


しかし実際の制作現場では、そうはなっていない。
負けチームを意図的にフォーカスしているわけではない。

じゃあ、いったい、
なにを基準にフォーカスを当てるチームを選んでいるのか。

ズバリ、「事前取材」の結果として
 ・絵になる素材
 ・扱いやすいトピックス
 ・ドラマチックなエピソード
が取れているほう、だろう。

 

熱闘甲子園』の制作現場はハードに違いない。

試合結果を待ってから、当日の30分番組の本を書くなんて、
しかも毎晩のようにそれを続けるだなんて、
人間業ではない。


「製作者の都合」で「作りやすいほう」にフォーカスが当たるのは
正直、しかたがないし、当然だ。
制作サイドを否定・批判することはできない。

熱闘甲子園』は、敗者にカタルシスを与えるためにあるんじゃない。

高校野球を素材に30分のエンタメを作っているだけだ。
われわれ視聴者もエンタメとしてそれを楽しんでいる。
部活でもなければ教育行為でもない。


でも、
だとしても、
「なんで 勝ちチーム 目線 やねん!!」と
クダを巻かずにはいられないのです。
 

「日本人の介護職」は【ブランド化】するかもしれない、なんてね。

■正直、「日本人の介護職」の割合は減っていくだろう、と以前から思ってはいた。

2年前かな?母校のディベート授業のオブザーバーに入った際に、

「小学校での英語教育は推進すべきである」

というディベートで、妙にYES側が不利だったために、わたしが社会人のくせにNO側に乱入する、という出来事があったのですね。

其の際に、わたしがひとつのダイバーシティ社会の事例として上げたのが

「介護職の現場で、これから東南アジアからの人材がどんどん増えていくと思う。

 じいちゃんばあちゃんを介護してくれるひとの母国語が日本語でなかったとき、
 少しでも英語コミュニケーションに慣れていたほうが、ひょっとしたら
 自分のじいちゃんばあちゃんの安全や健康を護るための武器になるかもしれない」

という、ちょっと飛び道具な屁理屈だったのですが。

 

■介護系大学の入学者、日本人は減る一方。

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介護福祉士養成の大学・専門学校 入学者これまでで最少に | NHKニュース   http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170813/k10011098181000.html

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日本人の入学者は6667人で、前の年度から11%以上大幅に減り、日本人と外国人を合わせた全体の入学者は7258人と定員の45.7%にとどまり、これまでで最も少なくなりました。

というニュースを目にしたのですよ…ふーむ。
既に、これから社会に出ていく「新卒の介護職」の日本人は減っていき、
日本で要請された外国人介護人材はすこしずつ増えていく。

ここに、「海外で養成された介護職の流入」を考えると、

日本の介護職における外国人比率は、やはり少しずつ上っていくわけですよね。
 


■もし日本人介護職が「少数派」になったら、たぶん「ブランド化」する

近い将来そうなるか、と言われればそうは思いませんが。

仮に、仮にね。
このまま外国人の人材が増え続けて、日本人の介護職が減り続けるとします。

そうして、いつか、比率が逆転し、介護の現場には「外国人は普通で、日本人が少数派」になったとします。

其の際に、仮に、仮にね。もしかしたら、の話ですね。
介護される側が「選択できる」としましょう。
介護される側に「日本民族と多民族、どちらに介護されたいですか」と問いかけられるとしたら、です。

日本人に人気が集まり、市場価値として高くなる可能性があるなぁ、と思うのです。
そう、ブランド化するんです。日本人であること自体が有利になるんです。
まるで英会話教室なんだから外国人教師に習わなきゃダメでしょ、みたいな感じで
日本人に看てもらえる介護施設の人気が高まる可能性がある。

 

もちろん介護保険の関係などで、市場の原理が福祉の現場全体に浸透するわけではないのでしょうが、

この先、社会制度なんて、ほんとにどう転ぶか分かんないからね。


現在、介護職は離職率も高く、3K職業であるというイメージが強いでしょう。
それは将来も大きくは変わらないでしょうが、技術の進歩で軽減されることは大きく期待できます。

いまのうちに介護勉強して、しっかりベテランとして技能を磨いておけば、まあまあ興味深い未来が待っているのかも。

 

わたしは差別主義者ではないですが、差異があることは認識しながら生きていかねばならない、と強く感じています。

そこにある程度の心理的動揺や欲求はつきまとうものである、と考えています。

 アンガーマネジメントやストレスマネジメントみたいなもので、どうしても芽生えてしまう差別意識と「どう付き合うか」こそがダイバーシティの鍵であると考えています。


それが差別主義者であると言われてしまうなら、仕方ないです、わたし差別主義者ですわ。

 

 

性差にフタをするのがダイバーシティ社会ですか?

 
グーグルが多様性否定の人物を解雇 正解か判断ミスか - BBCニュース

というニュースがどうしても気になるのですこし書きます…
 
この記事、要約すれば、
科学的に性差を指摘した社員を、「多様性を否定した」ことを理由に解雇した
ことの賛否の意見をきれいに紹介しています。

問題に対する双方の主張がたいへんロジカルに記事化されています。さすがBBC、といったところでしょうか。

私的には、これを「判断ミス」だ、とまでは思いません。
「全社員の20%にあたる女性従業員たちのモチベーションを守るために、
 男性ひとりのクビを切ることを【経営判断】した」
という事ですよね。
その選択自体にどうこう言うつもりもありません。

この記事をきっかけにダイバーシティの方法論の議論が盛り上がってくれるといいなぁ、という期待を強く持ちました。

見出しにも「多様性否定」って書いてありますけど、
「性差を指摘する事」=「多様性を否定する事」には、必ずしもならないはずなんですよ。

生理学上の性差は、行動や思考に影響する、というのは、受け入れるべき「現実」だと私は考えています。(この現実そのものが科学的でない、という批判があることも承知の上で)
この現実を、多様性の担保のなかにどう組み入れていくか、という「方法の問題」が我々に課せられているわけです。

得意不得意、向き不向き、それに寛容にならずして、「皆が自由に活躍する環境」を担保するのは難しいです。
だって実際に生理学上の「性差」って、あるんだもの。その大前提の上に、幅広く「個体差」というものが発生しており、男勝りの女性や女子力高い男子が結果として存在する、というのが「ヒトの多様性」であるはず

 
今回の記事では、その「性差」について指摘し、これを仕事のマッチングに活かせば、会社にとっても個人にとっても効果的かもしれないよ、というポジティブな指摘だったのでは、と思うのですね。
むしろGoogleの判断が、「同一労働、同一行為こそ同一の参画」であるという「行為画一主義」に基づいているように見える。だとすれば、これは「多様性の担保」とは真逆のベクトルですね。

どうして「性差を判断材料にするひと」を排斥する必要があったのでしょうか。まだ彼は誰の権利も侵害していない。むしろ得意・不得意を指摘することで「みんなちがって、みんないい個人」をハッピーにしようとしているようにさえ見える。
 
Google側が、画一主義のファシズムだと思われても仕方ないですね。はい。

解雇の理由が「多様性の担保」ではなく「女性社員の立場を護る」であれば、まだ可愛かったなぁ、というのが総合的な印象ですね。

コワーキングスペース淘汰の時代の「コンビニイートイン」の話

最近はコンビニのイートインで、お酒飲んでる人までいるのですね。

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<コンビニ>進化するイートイン 「自宅以上外食未満」の今 (毎日新聞) - Yahoo!ニュース

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言われてみれば、確かに以前と比べて「イートインを設けるコンビニ」が明らかに増えているような印象です。
新規に開店したコンビニの半分以上には設置されているかも。

 

なんか…お酒を飲むは、私的にはやめてほしいなぁ…

 

というのも、

コンビニのイートインは、自分のようなノマドワーカーにとっては
「オフィススペース」
としての利用価値が高いんですよね。 

最近は電源コンセントのあるところも増えていますし、
各社こぞってフリーWi-Fiを整えてくれている。
(一日数時間しか使えない場合がほとんどですが)

トイレも貸してくれるところがほとんどだし、
エアコンも適度に効いているし、
小腹がすいたらお菓子もホットスナックもアイスクリームも
10歩も歩けば購入できてしまう。

あと、店舗によっては、店内のプリンタでカラー出力できちゃうんですよね。
ネット経由でデータを送れば、数十円でカラーレーザートナー印刷。
ぶっちゃけ、家でインクジェットプリントするより質がいい。

オフィスやんけ、と。
なんて恵まれた職場環境やねん、と。

だからこそ思うのです、
完全に私情で申し訳ないのですが、首都圏の、特に新宿・渋谷・池袋エリアのコンビニのイートインで「お酒を飲む」のは、どうかご遠慮くださいませんか。

隣でお仕事をしているワタシのやる気が削がれてしまう。

一緒に飲みたくなっちゃうじゃない。
 

note を使って感じた「いいところ」と「悪いところ」。

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つい最近、「note」というメディアでもテキストを書き始めました。はい。

Nobuhiro Yamamoto (nobsang)|note

特定の相手に、特定のトピックスを発信するのであれば、
けっこう便利なアイテムかもしれないな、と考えてのことです。
 

使ってみて感じたいいところ

「見た目」がいいです。
あと、「マガジン」を複数展開することで、事実上、とても簡単に、スタイリッシュなブログをたくさん運営することができます。

「マガジン」は、ひとつのブログであるかのような見え方になる。
実際にはnote記事のタグ別表記なのですけどね。
手軽に中身を再構築できる、という意味でも、これは、すごくいいです。

正直、気に入りました
山本ノブヒロのワークショップデザイナーことはじめ
https://note.mu/nobsang/m/m38e4ee142f43

記事そのもののインターフェイス的にも、短文向き?に思えますので、
ひとつのトピックスを比較的短く、2~3回に分けてUPすれば、
負担も少なめで、続きやすいのでは?とも思えます。
 

しかしですね、
使ってみるとですね、
クソだな、と思う仕様もあります。

 

使ってみて感じた悪いところ

携帯電話からテキストの書き込みができない。
アホか。
このご時世に何してくれとんねん。

ちなみに閲覧やコメント付けは普通にできます。

でも、肝心のマガジンへの新規テキストの登録は、どうしてもPCからでないと受け付けてくれないのですね。

 

仕方ないのでPCでログインしなおし、念のため「ヘルプ」や「よくある質問」を閲覧しておこうと思ったのですが

フッター部分にある「よくある質問」をクリックしようとすると
無限スクロールが機能して記事に掻き消される。

なめとんのか。
Clickさせる気がないのか。

でもまあ

PCで書くんですけどね、結局、おとなしく、テキストを。

【提案】スーパーなんちゃらムーンみたいな煽り もう やめません?

あのさぁ。
月 がさあ、何年に一度のタイミングでデカく見えるとかさぁ。
何色に綺麗に見えるとかいうさぁ。
スーパームーン」だのなんちゃらムーンだの、っていう情報さぁ、

 

あれ、めっちゃ くだらない。

もう いいよ。いらねぇよ。

なんで人に煽られて決まった日に決まった時間に
「綺麗だとされる月」を見上げなあかんねん。

月を見上げるっていう行為はもっとロマンチックであるべきよ。

 

直径がでかけりゃロマンチックなんか?

いつもと違う色ならロマンチックなんか?

どうせメディアに言われなきゃ気づかないでしょ、その違い。

 
日々、空を見上げた時に、月が出ているかどうか、
それが綺麗だったかどうか、のほうが
魅力的だしロマンチックでしょ。

そっちのほうが、僕らにとって、特別な月でしょ。

 

ロマンティックすら大衆情報で消費したいってか。

くだらない。

そんなんええから、夜の帰り事で、ため息付きながら
なんとなく空を見上げときゃええんよ。