6mm方眼ノート

方眼紙に書くと、なんとなく、普通の紙に書くよりも整理できるような気がするよね。

「日本人の介護職」は【ブランド化】するかもしれない、なんてね。

■正直、「日本人の介護職」の割合は減っていくだろう、と以前から思ってはいた。

2年前かな?母校のディベート授業のオブザーバーに入った際に、

「小学校での英語教育は推進すべきである」

というディベートで、妙にYES側が不利だったために、わたしが社会人のくせにNO側に乱入する、という出来事があったのですね。

其の際に、わたしがひとつのダイバーシティ社会の事例として上げたのが

「介護職の現場で、これから東南アジアからの人材がどんどん増えていくと思う。

 じいちゃんばあちゃんを介護してくれるひとの母国語が日本語でなかったとき、
 少しでも英語コミュニケーションに慣れていたほうが、ひょっとしたら
 自分のじいちゃんばあちゃんの安全や健康を護るための武器になるかもしれない」

という、ちょっと飛び道具な屁理屈だったのですが。

 

■介護系大学の入学者、日本人は減る一方。

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介護福祉士養成の大学・専門学校 入学者これまでで最少に | NHKニュース   http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170813/k10011098181000.html

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日本人の入学者は6667人で、前の年度から11%以上大幅に減り、日本人と外国人を合わせた全体の入学者は7258人と定員の45.7%にとどまり、これまでで最も少なくなりました。

というニュースを目にしたのですよ…ふーむ。
既に、これから社会に出ていく「新卒の介護職」の日本人は減っていき、
日本で要請された外国人介護人材はすこしずつ増えていく。

ここに、「海外で養成された介護職の流入」を考えると、

日本の介護職における外国人比率は、やはり少しずつ上っていくわけですよね。
 


■もし日本人介護職が「少数派」になったら、たぶん「ブランド化」する

近い将来そうなるか、と言われればそうは思いませんが。

仮に、仮にね。
このまま外国人の人材が増え続けて、日本人の介護職が減り続けるとします。

そうして、いつか、比率が逆転し、介護の現場には「外国人は普通で、日本人が少数派」になったとします。

其の際に、仮に、仮にね。もしかしたら、の話ですね。
介護される側が「選択できる」としましょう。
介護される側に「日本民族と多民族、どちらに介護されたいですか」と問いかけられるとしたら、です。

日本人に人気が集まり、市場価値として高くなる可能性があるなぁ、と思うのです。
そう、ブランド化するんです。日本人であること自体が有利になるんです。
まるで英会話教室なんだから外国人教師に習わなきゃダメでしょ、みたいな感じで
日本人に看てもらえる介護施設の人気が高まる可能性がある。

 

もちろん介護保険の関係などで、市場の原理が福祉の現場全体に浸透するわけではないのでしょうが、

この先、社会制度なんて、ほんとにどう転ぶか分かんないからね。


現在、介護職は離職率も高く、3K職業であるというイメージが強いでしょう。
それは将来も大きくは変わらないでしょうが、技術の進歩で軽減されることは大きく期待できます。

いまのうちに介護勉強して、しっかりベテランとして技能を磨いておけば、まあまあ興味深い未来が待っているのかも。

 

わたしは差別主義者ではないですが、差異があることは認識しながら生きていかねばならない、と強く感じています。

そこにある程度の心理的動揺や欲求はつきまとうものである、と考えています。

 アンガーマネジメントやストレスマネジメントみたいなもので、どうしても芽生えてしまう差別意識と「どう付き合うか」こそがダイバーシティの鍵であると考えています。


それが差別主義者であると言われてしまうなら、仕方ないです、わたし差別主義者ですわ。