6mm方眼ノート

方眼紙に書くと、なんとなく、普通の紙に書くよりも整理できるような気がするよね。

性差にフタをするのがダイバーシティ社会ですか?

 
グーグルが多様性否定の人物を解雇 正解か判断ミスか - BBCニュース

というニュースがどうしても気になるのですこし書きます…
 
この記事、要約すれば、
科学的に性差を指摘した社員を、「多様性を否定した」ことを理由に解雇した
ことの賛否の意見をきれいに紹介しています。

問題に対する双方の主張がたいへんロジカルに記事化されています。さすがBBC、といったところでしょうか。

私的には、これを「判断ミス」だ、とまでは思いません。
「全社員の20%にあたる女性従業員たちのモチベーションを守るために、
 男性ひとりのクビを切ることを【経営判断】した」
という事ですよね。
その選択自体にどうこう言うつもりもありません。

この記事をきっかけにダイバーシティの方法論の議論が盛り上がってくれるといいなぁ、という期待を強く持ちました。

見出しにも「多様性否定」って書いてありますけど、
「性差を指摘する事」=「多様性を否定する事」には、必ずしもならないはずなんですよ。

生理学上の性差は、行動や思考に影響する、というのは、受け入れるべき「現実」だと私は考えています。(この現実そのものが科学的でない、という批判があることも承知の上で)
この現実を、多様性の担保のなかにどう組み入れていくか、という「方法の問題」が我々に課せられているわけです。

得意不得意、向き不向き、それに寛容にならずして、「皆が自由に活躍する環境」を担保するのは難しいです。
だって実際に生理学上の「性差」って、あるんだもの。その大前提の上に、幅広く「個体差」というものが発生しており、男勝りの女性や女子力高い男子が結果として存在する、というのが「ヒトの多様性」であるはず

 
今回の記事では、その「性差」について指摘し、これを仕事のマッチングに活かせば、会社にとっても個人にとっても効果的かもしれないよ、というポジティブな指摘だったのでは、と思うのですね。
むしろGoogleの判断が、「同一労働、同一行為こそ同一の参画」であるという「行為画一主義」に基づいているように見える。だとすれば、これは「多様性の担保」とは真逆のベクトルですね。

どうして「性差を判断材料にするひと」を排斥する必要があったのでしょうか。まだ彼は誰の権利も侵害していない。むしろ得意・不得意を指摘することで「みんなちがって、みんないい個人」をハッピーにしようとしているようにさえ見える。
 
Google側が、画一主義のファシズムだと思われても仕方ないですね。はい。

解雇の理由が「多様性の担保」ではなく「女性社員の立場を護る」であれば、まだ可愛かったなぁ、というのが総合的な印象ですね。