6mm方眼ノート

方眼紙に書くと、なんとなく、普通の紙に書くよりも整理できるような気がするよね。

ぼっちメシ、大いに結構じゃありませんか

視線気にせずおひとりさま 京大学食「ぼっち席」人気

http://www.asahi.com/national/update/0727/OSK201307270001.html

 京都大学の学生食堂にできた1人用席が静かな人気だ。大きなテーブルについたてを立てただけ。それでも、ひとりぼっちへの周囲の目線を気にせず食事できることから「ぼっち席」と呼ばれ、定着。神戸大学でも採用された。

なるほど、大机についたてを立てただけ。
確かに一人で食事をする時は、こちらのほうが座りやすくなるのかもしれない。

ぼっち席、というと、いかにもコミュ障を卑下しているように聞こえがちですが、
こちらのほうが個々人が食を楽しめるのであれば、サービスとして提供するのは当然アリでしょう。

もちろん、学食には、同時に大机もあって然るべきでしょう。
あ…、このつい立て、簡単に出したりしまったりできる「パーティション」みたいなのにならんもんですかね?
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ついたてを立てる事で、具体的には
・周囲の人に、自分の顔が見えづらくなる
・自分の視界に、他人が入ってきづらくなる
状態になる。

これが食事の際に、心理的な安心に繋がるというのは、まぁ、理解できる。

自分が食べるところをわざわざ他人に見られたいかと言われれば、それも変な話であるし、行き交う人々の群れのなかでメシを食いたいかと言われれば、そこに楽しみを求めない限り、静かにメシを食いたいと思うのも自然な事だろう。
ぼっち席、いいじゃないですか。

数年前、トイレで孤食する大学生、みたいのがニュースで話題になった。
「一人でメシを食ってる、という状況を人に見られるのが恥ずかしいので」
という声がフォーカスされていた。

この感情も、ぼっち席はある程度緩和してくれているだろう。
自分の顔も相手に見えづらいし、視界をさえぎることで周囲に人がいる事も認識しづらくなっているわけで。

…しかしまあ、

そもそも一人でメシを食う事は、特に恥ずかしい事では無いはずだ。
問題なのは、一人でメシを食ってるところをひとに見られるのが恥ずかしい、と思ってしまう【価値基準】のほうだ。

毎日友達とメシを食ってる人がコミュニケーション力が高い、なんて話じゃないですし。むしろ、たまたまランチタイムに周りに誰も居ない場合があったとき「すんなり一人で食事を済ませる事が出来ないひと」のほうにむしろ問題がある。

みんなで楽しくランチしてるリア充
ひとりカウンターでぼっちメシの俺、
などという端的な観測で
生活の充足度やコミュニケーションスキルが
測れるわけないでしょ?

リア充アピールは、一歩道を踏み外すと
誰かと食べてなきゃ恥ずかしい!
友達が居ないと思われたくない!
とにかく連れを確保しなきゃ!
という【不安】に転嫁しがちだ。
まあ少年期にはよくある心理構造なので(誘い合ってトイレに行く女子と同じ)、言ってみれば「可愛いもの」なのだが。

ちなみにオープンな食堂スペースにおける「コミュニケーションスキルの高い人」というのは、
【友達と大机に座れるひと】
よりも
【知らないひとと大机で合席しても
にこやかに食事を済ませられるひと】
を指しますので。
みなさんにはくれぐれも、勘違いして欲しくないものです。特に若い方々。