「お寺で対話する夜」 というのに参加してみた(2/2) 6mm方眼ノート
前日エントリ
お寺で対話する夜」 というのに参加してみた(1/2)
http://:title=http://d.hatena.ne.jp/yamamotonobuhiro/20121004
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いや、しかし、不思議な空間でした。
はじめて参加した「お寺で対話する夜」。
参加者を二組に分け、やっと対話の時間がはじまりました。
場所を縁側に庭園のある落ち着いた部屋へと写し、
ジュリさん、お初にお目にかかりました二十代の男性の方、そして
さっき衣の袖にiPhone投げ入れてた坊さん(!)、この4人で
テーブルを囲み、
「絆とは?」
というテーマで小一時間お話をさせていただきました。
…
絆、ってなんでしょうね。
個人的にはとても曖昧でピンとこないコトバです。
御縁や因果、御恩という表現はよく使いますが、絆、について
その質的な部分を具体的にコトバにしたことが
私はまったくありません。
ので、持論としては、「絆」とは
「人間関係において、質的な説明のできるような事柄でなく
それらを取り払ったときにただそこにある繋がり」
なのではないかなぁ、と。
みたいな話をしました。
…
そのうち、人とのつながり、その質やあり方の話になりました。
近しい趣味もなく味の好み、芸術の好みも違うのに夫婦でいられる話や、
ほんとうに仲の良い人、絆の強い人との関係を思い出してみると
何がきっかけで仲良くなったか分からないものだ、という話など、
自分とは違う経験と感性をもっている方々と話していると
たいへん刺激になりますね。
…
対話の時間を終え、本堂に戻ると
ちょっとだけ 仏事 の時間です。お寺ですものね。
紐でとじられた、新書版より少し幅ががあるくらいの
お経の冊子を配られ、説明を受けます。
住職曰、
「木魚をたたいてお経をあげる宗派もございますが
浄土真宗のほうでは木魚をたたくことがありません、
お経はメロディでとっていくものなんですね」
(゜-゜)?
メロディて。と一瞬思いましたが、
そういえば。
祖母の葬儀の際、お坊さんのお経があまりにもメロディアスで
しかも楽器やリズムパート無いのに皆でお経を読むもんだから
【グルーヴ感】
に溢れていたことを思い出しました
住職は続けます。
「また、木魚をたたいてお経を上げる宗派では
お坊さんがひとりで仏様にむかってお経を上げ、皆さんは
ありがたいお経を聞く、というものでしたが、
こちらは、皆さんで一緒にこのお経を唱える事で
みなさんで一緒に仏事をしていく、というものです。
そちらの本を開いていただきますと分かりますように、
感じの右側に点が振ってあります。
その点が長いもの、は、2音分伸ばすもの、
下がっているものは、そこで音を下げると言う意味です。
ページをまたぐと、音がもとにもどります。」
完全にこれ楽譜やんけ。
「では、初めての方もいらっしゃると思いますが、
本をみながら、できるだけ、皆さんで一緒に
このお経を読んでいきましょう」
お も し ろ い。(不謹慎だったらごめんなさい)
完全に みんなでゴスペル歌おうぜ ってのと同じテンションの事柄を
坊さんが正座して粛々と語ってるわけです。
はじまりました。
坊さんのソロパートからです。
そして参加者のみなさんの合唱が始まります。
もちろん私も唄います
いやいや
お経を上げます。
メロディアスや!!
グルーヴィーや!!!
あの バアちゃんの 葬式ん時と おんなじ やつや!!!!
楽 し い! けど正座で足がしびれてる。きつい。
ひととおり唄い終え、いや違う、お経を終えますと
ご焼香。
そして住職のお話がすこしだけありました。
「極楽浄土は皆にとっての理想郷とされますが、
お経の中のエピソードにはこうございます、
貴方ひとりの都合の良い世界をつくろうとしていると
回りにだれもいなくなってしまうかもしれない、
それが貴方にとってはたして良い世の中といえるだろうか」
ごもっともです。
身に染みます。
今ちょうど考えている企画モノも、
じぶんの理想の世界をつくるためのもの。
でも、自分ひとりの身勝手になってはだめで。
自分のやりたい事は、
自分ひとりでは実現できないわけで。
うん。恐れ多いことですが、すごく共感できる話です。
…雨の品川区内、10時も回ったところで会は終了。
とても面白かったです。また来たいですね。