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6mm方眼ノート

方眼紙に書くと、なんとなく、普通の紙に書くよりも整理できるような気がするよね。

我々は「リーズナブルなお買い物」をしなければならない

私にリーズナブルという言葉の意味を教えてくれたのは、新卒の勤務先のナカニシさんという人だった。
「reason、つまり理由があってそうなっているという意味だね」
どんなタイミングでその話題になったのかは忘れてしまいましたが、とにかくナカニシさんの言葉ではじめて、リーズナブル=reasonable=reasonからくる形容詞であることに気づいたのです。

きのう、以下のニュースをFacebookで見かけ、そのことを思い出しました。
(たしか 寺西さん、谷さん がシェアしてたんですよね)
 

高速バス事故の「事故の責任」は、あなたにも私にもあるかもしれない。ブラック企業を生み出す「ブラック消費者」という問題
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/32469

 
この記事には本当に同感です。
相場以下の価格でサービスを受ける際には、その裏にヒューマンエラーの嵐が渦巻く可能性がある。運悪くその被害を受けてしまったら、消費者は「管理が悪い」「労基法違反だ」などとサービス提供者を責める。
しかし、相場よりも安いサービスを受けたとき、しっぺ返しを喰らうリスクがあるのは当然のことだ。それは「リーズナブル」なことだ、という概念を、消費者はきちんと持った方がいい、と考えます。
 
 

「リーズナブルな価格設定」とは何か

「とってもリーズナブル!」
などというセリフをテレビショッピングなどではよく耳にします。多くの場合、“価格が安い”ことを表しています。
ちなみにこの使い方もけして間違いというわけでは無いようです、実際に辞書を引いても、価格が手ごろな、なとどいう表記があります。

しかし、全ての安さが【reasonable】の枠内なのだろうか。という疑問が私にはあります。

前記しましたがリーズナブルのスペルは【reasonable】、つまりreason(=理由、動機/道理、理屈)からくる形容詞です。その意味は「理にかなった」「わけのある」「道理のいった」という意味もあります。
「リーズナブルな価格設定!」という場合、このような理由があるので、この価格でお出しできるのですよ。つまりこれが【理にかなった損得の値段、いわば“適正価格”】なのですよ、という意味でなければなりません。
けっして「とにかく安ければ安いほど、よりリーズナブルなのだ」という事ではないのです。適正価格の範囲内でお買い得、でなければなりません。

安ければお得なんだから別にそれでいいじゃないか、と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、「道理を越えた価格設定」には、常にリスクの可能性があることを忘れてはなりません。
 
 

商品の価格と質の【reason(=道理)】

例えば明らかに安すぎるだろ、という価格設定があったとします。
極端な話ですが、例えば都内に2階建て4LDKの一戸建てを100万円で建てます、という土建屋があったとします。あまりにも安すぎる。人件費も資材費もまったく割が合わない。「ろくな家が建つわけがない、危ない、ここには頼むまい」と考えるのがまあ一般的でしょう。
つまり安い商品には安いだけのreasonがあり、それなりの価格のついたものにはそれなりの質がついてくるのがreasonableなのです。まあ常識ですね。

夜行バスにしてもそうです。私自身が夜行バスのヘビーユーザーですので、経験から言えることとして。
東京―大阪 で片道1万円のバスに乗れば、ゆとりある幅の3列シートに充実のアメニティ、設備の使い方のバランスも丁寧でわかりやすいものです。これがreasonableなサービス設定です。
片道7000円台の物でも3列シートの場合はありますが、やはりアメニティやサービスはどうしても1万円のものとは比べられません。あたりまえです。それが道理(reason)です。
片道4000から5000円で大阪まで行くバスがあります。4列シートで隣の人とは密着してしまいますし、ひどい場合はトイレもありません。そう、そのバスで5000円がreasonableな価格なのです。

適正なサービスを、適正な価格で買う。
このバランスを崩してはなりません。しわ寄せは必ず「消費者への理不尽な被害」か「サービス提供側の犠牲」のどちらかに現れます。
被害、犠牲、と言われても、という方にあえて具体例を上げるなら…いきなり命を落としてしまったり、いつのまにか心を病んでしまったり、働けど働けど生活不安に陥ったり、などなど。です。
 

人は「リーズナブル」よりも「道理なき安値」を選んでしまうのか

上記リンク先の文中で指摘される「ブラック消費者」の存在には大変共感します。
とにかく安いほうを選ぼう、もっと安い物を出してもらわなければ困る、という心理は、現在多くの消費者のこころの中に根強くあると思います。
収入が厳しく、安値でなければ困るという現実問題を背負った方々も多いかもしれませんが、私は現代人の特製として
 「市場価格より安く手に入れる」ということの喜びを得ようとしているのではないかと考えています。
同じようなサービスをより安価で手に入れた私は、手に入れられなかった人より素晴らしい、得をした、と。
もっともっとこの満足感を手に入れたい、安い商品はないものか。
安全性や最低限の質を保った状態で、そう、まさにリーズナブルな範囲内で、もっともっと安くできるはずだ、安いところがあるはずだ。

だって安全が失われたり、会社が赤字になってまで商品を出すようなバカな企業なんてあるわけないし、○○円で出してるってことは○○円で出来るっていう意味だよね。

このような心理状態が消費者にはあるのではないでしょうか。

仮に、あくまで仮にですよ。
安全性を無視したり、従業員を犠牲にして、例えば牛丼を200円で販売すれば消費者は「牛丼は200円台で食べられるんだ」ということを学習します。
牛丼においてリーズナブルな価格がいくらかは私には断言できませんが、適正を破ったものが市場に一度出てしまえば、消費者はそれが底値であると学習してしまうので、300前後の牛丼屋は高い、努力が足りないんじゃないか、などといった考えを持ってしまいがちです。

その環境でも300円前後の牛丼で戦うためには、まずは何よりその価格設定が「reasonableである」と思わせることが絶対条件です。300円前後をつけるだけのきちんとした理屈があるのですよ、と。

  問題は、消費者がどちらを選ぶか、です。
  reasonable=道理にかなった300円前後の牛丼と、
  道理を壊して200円にした牛丼。

理想を言えば、我々は300円台(が牛丼の適正価格だとするならば、300円台)の牛丼を選ぶことが望ましいと私は考えます。

reasonを崩してまで価格を下げたモノを世に出すということは、すなわち「しわ寄せ」を黙認しろという事です。極論を言えば、安全を捨てるか、従業員の首を絞めるかどちらかを、消費者の手で行うということです。
もし上記の例において消費者の多くが200円の牛丼を選択するとすれば、適正価格で頑張る企業もゆくゆくは価格を下げるしかありません。なぜなら「選ばれなければ売上が上がらない」からです、愚問ですが。
その結果として犠牲になるのは見えないところの質や安全性、もしくはサービスの陰に隠れて従業員、末端労働者が犠牲になるわけです。


私も強く再認識しました。「reasonableなお買い物」をしなければならない、と。
皆さんはどんなお買い物をしていますでしょうか。

…でも、この記事を書いていて、強い不安と疑問がわき上がってきました。

「それが本当に適正価格であるのか、誰がどう判断すればいいのだろうか?」