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6mm方眼ノート

方眼紙に書くと、なんとなく、普通の紙に書くよりも整理できるような気がするよね。

モバイルメディアが可視化した「ランチメイト症候群」

駒沢大学の学食がリニューアルしたことをいくつかのメディアが取り上げていたのですが、マイナビニュースの取り上げ方は他とは一風異なっていました。

【学生生活】「ランチメイト症候群」にも配慮。銀座スエヒロのステーキが500円。生き残りをかけ変化する大学学食。
http://news.mynavi.jp/c_cobs/news/techinsight/2012/04/500-2.html


大学入学と同時に一人暮らしを始める学生も少なくない中、同食堂は不規則となりがちな学生の食生活をサポートすべく、ハード面・ソフト面ともにさまざまな工夫を凝らしている。学生のライフスタイルの多様化に合わせ、朝8時から営業を開始。また、昨今は一人で食事をしている所を他人に見られたくないという「ランチメイト症候群」などにも考慮してか、一人でも気軽に食事ができるようにカウンター席を多数設置した。

確かに壁や窓に向かうカウンター席で食べるほうが、6人掛けのテーブルに一人で座るよりは、一人で食べている姿が人目につきづらくはなるでしょう。
「見られたくない人」にとっては、比較的良い環境の学食なのかもしれませんね。

本来、「人が一人で食事している事」そのものは、特に恥ずかしい事でも何でも無いように思えます。
いつも誰かといる人が優れた人間というわけでもなし、誰かと食事してる人だって、一人で食事するタイミングもあるでしょう。一人が好きな人だって沢山いますし、総じて大した問題じゃないな、と私は感じます。
しかし、トイレの個室で食事をとってしまう程に、「一人で食べる事が恥ずかしい」と感じてしまう人間が少なからず存在するのであれば、それは一体なぜなのだろう、と少し気になります。

一概には言えませんし、私の教養でこれを語るのも限界がありますが。そういう人々は、対人コンプレックスの延長に「歪んだ世間」を形成しているのかなあ、となんとなく感じています。
人目を隠れる、という行為の動機には「恥ずかしくて人前に出てゆけない」という罪悪感や劣等感があるのでしょう。「みんなで食事をしている人々の風景」という端的なコンプレックスの対象が、「世間一般」であるのだと考えてしまったとしたら、
自分の日常がそれとは違うものだ
  →世間に対して不適合だ
    →恥ずかしくてみんなに顔向けできない
       →おのずと人目を避けてしまう
という心理が働いてしまっているのではないですかね…
まあ、私がこれを良い悪いどうこうと言えるほど私は偉くは無いですが、あくまで現象の構造としては、こんな感覚なのかな、と思うところです。


私の学生時代…10年弱前ですが、学食でひとりで食事をしてる学生なんて沢山いました。しかし彼らは、人前で一人で堂々と食事をしていました。近年もたまに大学の学食に行く機会がありましたが、ひとりで堂々と食事をしている学生は普通にいました。

考えてみれば、その頃から、今「ランチメイト症候群」のような言葉まで作って、現代の病理かのように取り上げているような学生は、普通に存在したのではないでしょうか。推測ですが、今と同じくらいの比率でそういった対人コンプレックスを抱えた若者は存在し、我々に隠れてぼっち飯をしていたのではないか、と思えてならないのです。
ずっと人目を避けていたために「不可視だった」ランチメイト症候群が、携帯電話の進歩と2ちゃんねるTwitter等のメディアの台頭によって、廊下の隅やトイレの個室から【ぼっちの発信】が可能になり、ここ数年で一気に可視化しただけなのでは、というのが個人的な認識です。
見える化したのがここ数年だから」いかにも「いまどきの若者の病理のように見えてしまう」だけなのではないかと。

ランチメイト症候群は「一人でいることを望んでいない」場合がほとんどですので、自分のことを知ってほしい、見てほしい。だけど一人で飯を食う姿だけは見られたくない。ネットへの書き込みはそんな彼らのカタルシスとしては完璧ですからね。
 
もちろん、ひとつの仮定でしかありませんので…実際に昔より増えているのかもしれませんけれども。