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6mm方眼ノート

方眼紙に書くと、なんとなく、普通の紙に書くよりも整理できるような気がするよね。

【オトナだって遊べる社会】じゃダメですか?

 
先週末、私が企画立案・幹事として、カラオケ仲間5人で集まって
【絵心バトルロイヤル】
というちょっとした遊びをしました。
 
元ネタとしては、テレビ朝日『ぷっ』すま」で行われている[記憶力絵心クイズ]とほぼ同じです… 特定の“お題”について、記憶とセンスでお絵かきバトルを繰り広げ、
最終的にその日の「絵心王」を決定する、というものですが、
 
いや、これが、盛り上がった、ホント盛り上がった。企画した私が言うのもナニですが。
 
集合したメンバーの中で学生はひとりだけ(この春から社会人)、あとは20代、30代。
いい大人が5時間もかけて23のテーマに挑み、合計138枚の作品ができあがりました。(私はちなみに…絵心ポイントは5人中4位という恥ずかしい結果ではありましたが)
 
 
参加した皆さんからは「いやー楽しかった!第二回やりましょうよ!」という大変嬉しいお声をいただきました。
そのあとサイゼリヤで軽く食事をしながら、皆さんと話したこと。
「オトナになってから、こんなに落書きとか、いろんな絵をかくってしたことない」
「一人の時になんとなくメモの端とかに意味の分かんない画を描くことはあっても、人と一緒に、特定のモノをつくるって、日常では無いですよね、仕事とかしてても。」
「なんか“遊んだ”な、って感じ。」
 嬉しかったです。皆さんが、私が常々思っていた、オトナが本気で遊ぶことの面白さ、大切さ、を体現してくれているのかもしれない。
私もみんなに語りかける。
「オトナも遊びたいし遊べば楽しいんだよね、もっとみんな遊べばいいって思う。だから、っていう訳じゃないけど、今日みんなと遊べて楽しかったし、みんなが【遊んでくれた】のがすごい嬉しかったっていうか、良かった。来てくれてありがとう。またやろう。」
 
  
オトナになれば生活に追われ、社会的責任を背負い、生活の糧を得るための「仕事」がどうしても第一になってしまう。それは否定できません。
職業生活が第一になり、休日はエネルギー充填のために休んでおかねば、という方々も多いでしょう。
人間関係も学生時代のように利害関係を度外視した友人よりも、仕事や活動のうえで関係をもった、利害関係≒仕事≒生活のための収入 と何かしら関与した人々のほうが増えてきます、どうしても。
 
学生までの頃、…あえて、こども時代、と呼びましょう。こども時代に比べれば、気軽に遊べるような環境そのものが、無い。
そうした大人たちの遊びは、どうしても「娯楽商品の消費」に依っていく。酒、買い物、テーマパーク、映画鑑賞、キャバクラ、などなど。つまり、程度の差はあれ、お金をかけなければ遊べない。逆説的にいえば、気心の知れた人間関係が無い人でも、娯楽を購入することである程度楽しめる、という市場の機能がそこにあるような気もする。
 
 
お金をかけずに、みんなでくだらないことをして、笑い、喜び、幸せになれる。そういう【遊び】を、子ども・若者はもちろんのこと、オトナの皆さん、年配の方々にも、もっと、もっと楽しんで欲しい。
それが世間で普通に実践される世の中、そう、【オトナだって遊べる社会】になればいい。
 
 …ここ数年、私がずっと考えていることです。
 
でも、オトナが遊べる社会になるまでには、いろんなハードルを越えなければならない。
遊び相手を作れる空間やネットワークをつくらねばならない。
ひとにココロを開き、くだらないことを受け入れられる「余裕」を持たねばならない。
少しベクトルを変えて、大胆に踏み込めば、
みんなが集まれる「余暇」を皆が恒常的に得られなければならない。
サービスの消費こそ贅沢な遊びだ、という市場のキャンペーンを打破せねばならない。
糧のために仕事に負われることを避けるために、もっと「お金のいらない」社会でなければならない。
 
そんな世の中になれば、【オトナだって遊べる社会】が実現できると思う。

   
とはいえ、この話題、あくまで私がお金をかけない【遊び】が大好きで、
もっともっと沢山のみんなが私と遊んでくれたらどんなに楽しいだろう、という
エゴイズムに則ったものではありますが。
 
でも皆さんの中にもありませんか?お金をかけずにくだらない遊びに興じてみたいという気持ち。