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6mm方眼ノート

方眼紙に書くと、なんとなく、普通の紙に書くよりも整理できるような気がするよね。

「社会貢献」の胡散臭さ

特にCSRについて考えるとき、再三のように思うのは、「社会貢献していない企業なんて滅多にない」ということです。
以前にも似たようなことをツイートしていますが、ヒトを雇い、商売をして、ステークホルダーと共にこの世界に自らの存在を叫ぶ、それだけで十分すぎるくらいこの社会を支えていると言えます。
(最近は @i_waon さんのブログ http://bit.ly/dCvxhi でも分かりやすく書かれていますね)

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いま、私はすごく世の中に対して胡散臭さを覚えています。

「社会貢献」「社会的」「社会事業」などという言葉が、暴走をはじめている。

社会と関わり、何かに携わり、他人とのつながりのなかで何かしらの価値を発信していく、という「普通で、ゆるやかな社会への貢献」には着目されず、“新しい価値を創造”したり、“今まで手の届かなかったところにアプローチする”ことこそ「社会的取り組み」である、という風潮が強い。

【なんで特別な事しなきゃいけないんですか?】
と強く言いたいのです。

ゆとり世代」という言葉を使いたくはないのですが、いわゆるその世代の人々は「自分のやりたい事をやりなさい」「あなたはどういう人間になりたいの」そういうことをすり込まれ続けて生きてきた為に、「ただ者ではない何か」になりたくて仕方がないのでしょうか。
どうして「普通のこと」に価値を見いだし、大切にできないのでしょうか。
今の風潮は結局「エリート主義」に他ならないと思うのです。目立って新しいことが出来るヒトが着目され、そうでないヒトは「夢のない」「個性のない」埋没する人間と扱われている。

普通のことをしっかりやりましょうよ。
そんな人生に胸を張って生きていきましょうよ。
何でそれが出来ないんですか。

はっきり言いますけど、自分は社会貢献してます、みたいなヒトは、その何割かが「自己実現の手段のために社会を利用している」だけの話ですよ。
特別なことをして「自分が“ただ者ではない、何物か”でありたい」という、自己との闘いを行っているわけですよ。
勿論そういう人間が世の中に新しいダイナミズムを生んでいく、という事実があることは私もじゅうぶん分かっています。
ただ、それがブランド化した「社会的企業」とか「社会起業家」という「他とは何か違うもの」として扱われる理由が全く分からない。何が特別なのかピンとこない。市場があって参入するんだから普通の事業者と変わらない。

ちなみにですが、私の場合、社会の役に立とうとか、特別な存在であろうとか、特に考えているわけではありません。
ただ、私が昔から抱えているコンプレックスを解消するために、これからも一生懸命社会に働きかけ、満足を少しでも手にしていきたい、と感じているだけです。

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ちなみに「新しい公共」とか「熟議」というコトバも眉唾で見ています、私。

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…ちなみに本日、こんなニュースが流れていました

NEWS【奨学金】【文科政策】奨学金の条件「社会貢献活動への参加」追加へ
http://bit.ly/9kNAnT
…来年度から貸与者らに文書で呼びかけを開始し、周知期間をおいて数年後の条件化を目指す。社会貢献活動の場の提供に積極的な大学にも補助金などを上乗せする方針。同省…

by @daigaku_ANTENNA

これについては気が向いたら、明日にでも、また書いてみようかなと思います。